「信仰するほどの悩みはない」という言葉は、いい換えると「悩みのない人は信仰の必要がない」ということであり、信仰を正しく理解していないようです。

 

 仏様がこの世に出られた目的は、仏知見すなわちいかなるものにも壊れることのない清浄で自在の境地と、深く正しい知慧を、衆生に対して開き、示し、悟り、入らしめるためであると法華経に説かれています。

 そして法華経宝塔品には

「此の経を読み持たんは是れ真の仏子 淳善の地に住するなり」(法華経 355ページ)

と説かれ、正しい仏法に帰依する者は真実の仏の子であり、清浄で安穏な境地に住することができると教えています。

 


 日蓮大聖人も

「法華経は現世安穏・後生善処の御経なり」(弥源太殿御返事 御書723ページ)

と仰せられているように、安穏な境界とは現在ばかりではなく、未来にわたるものでなければなりません。楽しいはずの家族旅行が事故に遭って一瞬にして悲惨な状態になったり、順調に出世コースを歩んでいた人が一時の迷いから人生の破綻を招いたりすることはしばしば耳にすることです。
 今が幸せだということは、例えて言えば平坦な舗装道路をなんの苦労もなく歩いているようなものです。しかし長い人生には険しい登り坂もあれば、泥沼の道もあります。
 難所に来てから「自分は平坦な道しか歩いたことがない」という人はむしろ不幸な人というべきです。

 


 どんな険難悪路に遭遇しても、それを楽しみながら悠々と乗り越えていく力を持つ人こそ真に幸せな人というべきでしょう。
 強い生命力と深く正しい知慧は、真実の仏法に帰依して信心修行を積まなければけっして開発されるものではありません。
 どうか目先の世界や自己満足に閉じ込もるもることなく、1日も早く正しい仏法を信仰し、真に賢い人間となり、幸福な人生を築いてください。

日蓮正宗「正しい宗教と信仰」より