佐野広謙尼は、邪宗の謗法の一切を捨て、総本山大石寺第52世日霑上人の弟子となりました。そして日蓮大聖人の仏法に生涯を捧げる決意を固く誓い、九州広布の大願を立てました。日霑上人に書状を認めていただき、以前よりの有縁の地久留米に下り、地元信者の中心人物であった今村武七宅を訪れ、直ちに折伏弘教の戦いを開始されました。写真の書状は、この時日霑上人が御認めになったもので、霑妙寺建立の原点となった書簡です。(以下はこのお手紙の内容を活字に起こしたものです)
良い機会なので一筆申し上げます。残暑の砌(みぎり)、御健勝にて相(あい)変わらず大法の御修行、御教化の御ことと大慶の至りに存じます。さて、かの異流者・双林寺の故臨導の弟子好堅尼は、一昨年に、それまでの邪義を改めて謝罪降伏を決意し、去年の夏に、わざわざ讃岐まで渡海し、深く懺悔に及んで妙寿と名を改め、すぐさま総本山へも登山して、御戒壇様への礼拝も相かないました。なお、これまでの謗法を懺悔するため、九州の地の異流の者どもを教導したいと発願し、まさに今、九州に渡ることになりました。到着の上は、何分にも御助力のほど、お頼み申します。委細は当人から直接お聞きください。まずは、右お願いまで。恐々謹言。
七月二十九日
日 霑 花押
今村武七殿 参る