(1)目を開いて本当の姿を見よう

     

❶変容著(いちじる)しい創価学会

 創価学会は平成三年の破門を境として、まるで別物になった勤行方式と観念文も変えた。僧侶に依(よ)りたくないため、塔婆や戒名は不要なものと会員に教え込んだ。さらに、『ニセ本尊』を作製・販売し、会則の改悪に次ぐ改悪。

   

❷変わりすぎだ

 

 極めつけは、本門戒壇の大御本尊に対する信仰の放棄だが、三十年足らずで教義がこれほど変わるのは、宗教団体として、どうにもおかしい。試合中の選手交代とは話が違うのだ。

 コロコロと教義が変わることでさえ異常事態なのに、本尊を変更するなど、もってのほか。

 世間一般の会社であれば、経営方針などの変更も、あり得よう。しかし、事は信仰の話、人生の幸・不幸と密接に関わる問題だ。宗旨の根幹である本尊を変えるのなら、それはつまり、宗旨替えではないか。

 会員たちに「どうして今になって戒壇の大御本尊への信仰を放棄したのか」と問えば、「世界広布新時代の、今の“時”に適(かな)った在(あ)り方だ」などと答える。

   

❸ 邪教だから変わるのだ

 

 だが、信仰の対象である「本尊」が変わるなど、あってはならない。本尊や教義は、どんなに時代が変わったからといって発展も前進もしない。

 日蓮正宗の根幹は二つ。本門戒壇の大御本尊と、唯授一人の血脈法水(けちみゃくほっすい)であり、これは永遠に変わらない。正法正義は不変であり、恒久不変の法であるが故に、三世に亘(わた)って一切衆生を成仏の幸福境界に導くことができる。

 今の学会員は恐らく、「令法久住(りょうぼうくじゅう)」という言葉を、聞いたことも見たこともないのだろう。

 そういう訳で、今の創価学会には、教義変更の各段階で入会した人たちが、等しく「学会員」として存在している。ということは、いくつかの宗旨が創価学会の一団体に混然としているわけだ。

   

❹変わらぬ悪癖  

 

 だがしかし、事によっては変えなくてはならないものもある。

 例えば、創価学会の攻撃体質。宗門を誹謗(ひぼう)中傷する悪癖は全く変わらず、創価新報では今なお、御法主上人猊下をはじめ、僧侶への罵詈雑言(ばりぞうごん)が並ぶ。

 血脈否定や総本山大石寺の悪評など、既に日蓮正宗によって破折し尽くされたことを掘り起こしては、負け犬の遠吠えよろしく、いつまでも言いがかりをつけてくる。

                       

 こうした宗門攻撃は、凪(な)いできた会員たちの気持ちを焚(た)きつけ、「憎き宗門」という命題のもと、心を一つにするためのものでしかない。

 「ルサンチマン」という哲学用語がある。「恨みの心」を意味し、強者に対し仕返しを欲(ほっ)して鬱結(うっけつ)した念を言う。正(まさ)しく学会も活動家の学会員もルサンチマン、無慈悲で歪(ゆが)んだ心のまま、ただ恨み辛(つら)みに生きている。およそ「幸福」からは遠い境界だ

 一方で、本紙に脱会した方々の体験もたくさん載っているように、変われる人もいる。

 例えば、本年2月16日(999)号に、活動家(いわゆるバリバリの創価学会員)だった方の体験が掲載された。原田会長の前で体験を発表したり、選挙活動に励んで聖教新聞に取り上げられたりするほどの、熱心な池田教信者だった。

 しかし、親族の脱会を契機に、インターネットで学会について調べ、疑いを持つに至る。そして、親族の折伏に耳を傾けるようになり、ついに勧誡を受けた。きっかけと勇気があれば脱会できるのである。

   

❺変わろう、勇気を出して!

 

 会員諸氏よ、そろそろ池田大作を崇拝したり、幹部の話を鵜呑(うの)みにするのはやめて、色眼鏡を外し、自分の目で見、頭で考えよう。先入観を捨て、己(おのれ)の眼で学会を外からよく観察してみてはどうか

 寺院に足を運び、僧侶や法華講員から「創価学会の何が間違っているのか」を詳しく聞いてみよう。慈悲の心で、懇切丁寧に話してくれるに違いない。  

 必要なのは、本当の幸せを手に入れるため、これ以上人生を無駄にしないため、今、一歩を踏み出す勇気だ。

(大白法 第1006号 令和元年6月1日)

     


(2)堕地獄から救済しよう

   

❶戒壇の大御本尊を否定

 

「ついに、この時が来た」この発表を知ったとき、誰もが、そう思っただろう。創価学会会長・原田稔の過日の発表である。

 会則改変の説明の中で原田は、

「創価学会は(中略)広宣流布のための御本尊を認定(にんてい)します」 (聖教新聞 11月8日付)

と述べたのだ。自分たちを救ってくださる御本尊を、創価学会幹部たちが簡(えら)ぶと宣言した。また、

「弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」(同)

とも述べた。

 この「受持の対象にはいたしません」との意味は、巧(たく)みに言葉をぼかしてはいるが、「信仰の対象にはいたしません」ということである。

 何を血迷ったか、創価学会は戒壇の大御本尊を簡び捨て、否定したのだ。

                
   

❷池田大作の責任  

 

 創価学会破門後の平成5年9月、池田大作は、

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(同紙 平成5年9月19日付)

と述べている。

 前言を翻(ひるがえ)すのは、大作をはじめ創価学会のお家芸のようなものだが、信仰の根本としているはずの大御本尊を否定するとは、自語相違どころの騒ぎではない。

 この集団が、

「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぐ」(会則第二条)

とは、呆(あき)れたものだ。

 殊に、大作の責任は重大だ。原田は、

「お元気な池田先生・奥様と共に」(聖教新聞 11月8日付)

とか、

「先生の指導のもとに、一段と広布の歩みを世界に広げて躍進してまいりたい」(同)

と述べているが、今回の会則改変は大作の指導によるものであると会員は信じているだろう。

 しかしなぜ、この信仰・教義の根幹に関わる問題について、池田大作の指導がないのか。  このまま、大作の三宝破壊に追従(ついしょう)する、原田たち執行部の陰に隠れているつもりなのだろうか。

 これが「永遠の指導者」のあまりにも情けない実体であることに学会員は刮目(かつもく)し、大作に説明を求めるべきである。

   

❸大難を恐れず 人法共に折伏すべし

総本山大石寺の御影堂
 

 日蓮正宗に反逆し、会員を破門の道連れにして、信徒資格を喪失させ、今また、大御本尊を否定して、無間地獄への道に強引に連れ込もうとしている。

 それは、池田大作や現執行部が、魔の教団として将来にわたって「世界」を支配しようと企(たくら)む故の、極悪非道の所業なのである。

 しかしまた、今回の大作らの大御本尊否定という暴挙によって、これまで学会員と世間を欺(あざむ)き、巧妙に隠してきた創価学会の正体が、魔の教団であることがはっきりとした。

 日蓮大聖人は『如説修行抄』に、

「末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵(ごうてき)来たらん事は疑ひ無し」(御書 673ページ)

と御示しである。

 創価学会の大作および幹部たちに対し、その邪義が大謗法であると、人法共に徹底して破折すれば、三類の強敵が来たることは必然である。

しかして、同抄には、

「いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るゝ心なかれ(中略)命のかよ(通)はんきは(際)ゝ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ云云」 (同 674ページ)

とも御示しである。

 今こそ我ら日蓮正宗の僧俗は、大聖人の血脈正統門家の一員として、その重大な使命に奮い立たねばならない。

 たとえ、いかなる魔が競い、いかなる困難が押し寄せようとも、洗脳された創価学会員を一人でも多く堕地獄から救済すべく、本門戒壇の大御本尊のもとへと善導する折伏に励もうではないか。

(大白法 第898号 平成26年12月1日)

     
広布の広場から三門を望む

     

脱会者の声

 創価学会を脱会し霑妙寺の法華講員となった方々の声です

 

①51歳 男性

 

 3歳のころ母親とともに創価学会に入会。

 就職し実家を出ると創価学会の人がよくやって来るようになり、平成21年、創価学会の本尊を安置するようしつこく言われ、言われるがままに自宅にニセ本尊を安置。仕事上の悩みもあり懸命に唱題に励んでいたが、なんと指の関節・手首の関節・肘の関節のすべてが曲がってしまうという奇病にかかって、近くの整形外科病院にかかったものの原因がよく分からないと言われてしまった。


 症状が改善しないため大学病院を紹介してもらい受診。ところが大学病院でも原因不明の病気と言われ根本的な治療法がないと言われた。
 痛みがますますひどくなり、なんとかしようと自分で必死でインターネットを調べると創価学会の本尊は「ニセ本尊」とあった。


創価学会の「折伏教典」という書籍の中にも、「ニセ本尊とはどういうものか」というくだりがあり、なんと「授与書きのない本尊は偽物」と書かれてニセ本尊は決して拝まないで謗法払いするよう教えられているページがあるのが分かった。


 これは大変だと思い、平成26年5月4日に一大決心をして創価学会を脱会し、霑妙寺のご住職から創価学会の「ニセ本尊」は直ちに創価学会に返すよう指導を受け、学会の会館に返納したところ、曲がっていた指や腕の痛みが急に消滅、法華講に入講した頃には、それまでの指、腕の曲がりもなんと無くなって本当にびっくりした。

早春の筑後川


 創価学会の「ニセ本尊」の恐ろしさを身をもって体験し、実家の母にもこのことを訴えたところ母も創価学会を脱会し、法華講に入講。霑妙寺への参詣は欠かさず、お講には必ず参加するようになった。
 現在、自分も霑妙寺のご住職より日蓮正宗の正しい御本尊を御下付していただき、すっかり健康を取り戻している。そして、まわりの創価学会の会員にもニセ本尊の恐ろしさを訴え、楽しく折伏活動に邁進する生活を送っている。

         

②58歳 女性

 

 創価学会員の家に嫁ぎ、大聖人様の仏法を信じ一生懸命学会活動をしておりました。平成3年正月より創価学会の聖教新聞では日蓮正宗の誹謗中傷の記事が紙面いっぱいに出始め「なぜ猊下様と宗門の悪口を言うのだろう」と思っていました。昭和の時代公明党の市議会議員をしていた義父は「学会は完全に謗法団体となった、一家で脱会するぞ!」と宣言し、同年3年3月、家族・親族一同全員で法華講に入講させていただきました。


 以来30年、本当の日蓮正宗信徒として御住職のご指導を受け、お寺の行事や大石寺への登山に精一杯参加させて頂き、楽しい毎日を過ごしています。
住職は御法主日如上人猊下の御指南を分かりやすく私たち信徒にご指導してくださいますので、安心して信心活動をすることが出来ます。

コスモスの花畑
   

③55歳 男性

 

 学会員時代は月1回の創価学会の座談会には必ず参加し、聖教新聞の購読者拡大や選挙の支持者活動を頑張っていました。

  平成3年、その座談会で突然異様なビデオを見せられました。総本山の三門に大きく落書きがあり、本山内には1mほどの草が生えている映像です。また創価学会の地区幹部の人から「本山の登山はだめ、お寺の参詣もだめ」と言われました。私はお寺に納骨しているので「お寺へのお参りはしますと」言うと「だめなものはだめ」と一方的に言われ、それはおかしいと思い平成3年6月に創価学会を脱会しました。

  法華講員となってすぐ大石寺に登山しましたが、学会の言うことは全くのウソで、総本山はとてもきれいで荘厳なたたずまいに感動しました。
以来、毎年登山させていただき、お寺の行事にも喜んで参詣させていただいています。

春爛漫の菜の花畑
   

④64歳 男性

 

 昭和51年冬、学生時代に創価学会に入会しました。希望の大学に入れず将来にもほとんど明るいものが感じられなくなったところに、創価学会のいわゆる”学会っ子”であった友人から日蓮正宗の信心を教わり、初めて人生に希望を感じれるようになりました。

 最初は折伏活動を毎日するのが楽しかったのですが、次第に信心と何の関係もないはずの地方選挙、国政選挙に強引に動員され巻き込まれ、それが信心だと強引に説明されるのが非常に不満に思い、創価学会活動に次第に疑問を感じるようになりました。私に日蓮正宗の信心を教えてくれた友人も学会をいわゆる”退転状態”になり、自分も最後は惰性で学会活動をする毎日で、生きているのに何の喜びもなくなってしまいました。

 ついに平成2年、創価学会の古参幹部の話に、日蓮正宗の信徒団体としておかしいと決定的な疑問を感じ、当時住んでいた久留米市にある霑妙寺のご住職にどうしたら良いか相談に伺いました。

 すると、ご住職からすぐに学会を脱会し法華講の青年部の中で信心をもう一度やり直すようご指導いただき、直ちに組織に脱会届けを出し平成2年11月に脱会し本当に清々しました。

 大嫌いな選挙活動もなく純粋に信心活動できるのに疲労感がなくなり本当の信心の喜びが戻ってきました。ただ、学会の中で教条的に教え込まれていた師弟不二こそ絶対だとか、池田先生に弓を引くなどということは死んでもしてはいけないとか、実は池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりだとかの、全くデタラメな教学から本当に抜けきるのに大分時間がかかったような気がします。

 法華講員となりもう30年以上になりました。最終的に自分の希望する職業にも就けて、今、仕事に信心に全力で毎日取り組めるようになって、最高の人生を歩んでいます。

久留米つつじ